「第5回オールジャパン・ギターコンクール」優勝のご報告

2019年「第5回オールジャパン・ギターコンクール」優勝ご報告

WMG3年 曽根知輝(政治経済学部)

2019年「第5回オールジャパン・ギターコンクール」(公益社団法人 日本ギター連盟主催)に出場し優勝致しましたので、先輩の皆様にご報告致します。

このコンクールは今年が5回目。第1次予選は全国12か所(北海道から九州まで)で開催。第2次予選は東京で行われ、6名が本選進出。4月13日(土)本選が開催されました。
私の演奏曲目は下記の通りです。

二次予選:プレリュードNo.5/F.タレガ、パッサカリア/A.タンスマン(高田編)、
本選:無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番BWV1003よりアンダンテ、アレグロ/J.S.バッハ、ソルの主題による変奏曲/M.リョベート

全体を通して、ミスをしてしまっても「音楽の流れを崩さずに演奏を続けられたこと」が評価に繋がった気がします。昨年出場したコンクールではミスを引きずりながら演奏してしまい、後悔が残りました。その反省を活かすことができ、技術面だけでなく精神面でも少し成長できたかなと感じました。
思い切り練習できる学生生活ももう折り返しですが、指揮者と上手く両立しながらコンクールに挑戦していく予定です。これからも応援のほどよろしくお願いします。


 

私のマラソン人生42年

私のマラソン人生42年
芳川順一(S38卒、ギター)

 私の趣味、マラソンの話をさせていただきます。
1978年1月にマラソンを始めてから今年で42年目になります。

1、マラソンを始めたきっかけ
私が勤務していた日本NCR時代、東京本社をかわきりに、金沢、宮崎、岐阜、名古屋と13年間の転勤生活を終えて東京に戻りました。地方生活が長く東京の住宅事情に疎く、通勤はふつう1時間30分はかかると聞いていました。探しあてた住居が市川市で通勤1時間と、思ったより近いところでした。30分もうけたどうしよう。この30分で毎朝ジョギングをしよう、これが始まりでした。毎朝10分間で2km、1年間で366km走ることができました。2年目に入ると2kmでは物足りなくなり4kmまで伸ばしました。その後も、5km、10kmと距離が伸びていきます。10年後の1987年に初めて山中湖一周(14.3km)マラソンを走りマラソン大会の楽しさを覚え、マラソン人生は本格化しました。

2、出張先の早朝マラソン
日本NCR在職中の教育部に所属していたころ、お客様研修の仕事で全国に出かけました。そして、定年後の日本ATM(株)在職中はコールセンターの監査や「監査役全国会議」への出席で全国各地に出かけました。出張先では朝6時に起きて約1時間(10km)の早朝マラソンです。ホテルをスタートして街を走り、帰ってシャワーを浴びて朝食、そして9時に出勤します。北から留萌、札幌、仙台、新潟、横浜、浜松、名古屋、大阪、神戸、広島、高松、高知、松山、福岡、大分、鹿児島)、徳之島など各地で早朝マラソンを走り、爽やかな気分で仕事に出かけていました。

3、マラソン大会
一番好きなマラソン大会は5月の「山中湖一周(14.3km)マラソン」です(写真1)。20回参加しました。大会参加のためのランナー貸し切りマラソンバスで新宿⇔山中湖を往復します。大会は村役場前からスタートして山中湖を左回りで一周します。途中、「ママの森」まで約2kmが緩やかな登りでランナーのスピードは遅くなります。峠を越すと一気に下り、左手に山中湖、その向こうには富士山の雄姿がくっきりと聳えています。登りの疲れはいっぺんに吹き飛んでゴールに向かいます。
真夏の6月第4週の「富里すいかロードレース」(10km)も楽しい大会です。12回走っています。富里はすいかの名産地です。スタート前にすいかが食べ放題で、応援の方も食べられるので人気のマラソン大会です。レース中も最後の給水場にはすいかがずらりと並んでいます。私たちのような遅いランナーは立ち止まってすいかにかぶりつきます。走りはそっちのけです。そして、十分に給水をとって最後の1kmを走り切ります。
「五島列島夕やけマラソン」(ハーフマラソン)も好きな大会です。2回出かけました。8月の第4週、羽田から長崎空港に飛び、プロペラ機に乗り換えて五島列島福江空港に着きます。小さな島に約2,800人のランナーが集まるのでホテルは満室となり、仕方なく隣の奈留島に民宿をとり、レース終了後は水上タクシーで島に移動しました。五島列島は日本で一番遅く太陽が沈むところと言われていて、マラソンのスタートは夕方の5時30分です。夕日の沈む光景を見ながら走るということでこの大会は「夕やけマラソン」と呼ばれています。夕方にスタートするマラソン大会は日本中でもここだけではないかと思います。私のようにゴールまでに2時間30分を超える遅いランナーは、終盤に日が暮れてしまい道路灯のない真っ暗な五島列島福江島の道路を走ることになります。そこで、所々に設置された自家発電による電灯を頼りに走ります。無事ゴールすると会場では五島牛のバーベキューがふるまわれます。夕闇の中、ランナーは焼き肉をほおばりながらレースを振り返り話がはずみます。
 2009年11月に国営昭和記念公園で開催された「EKIDENカ-ニバル2009」も思い出のマラソン大会です。1800チームが参加する大駅伝大会です。定年後に勤務していた日本ATM(株)からも6チーム24名が参加し、私もメンバーに加えてもらいました(写真2)。私にとって、駅伝大会に参加することは初めての経験でした。若い人と一緒に駅伝大会に参加出来たことは私のマラソン人生のなかでも楽しい思い出の一つです。

4、海外マラソン大会
 海外マラソン大会にも出かけました。一番印象深いのはニューヨーク・マラソン(フルマラソン)です(写真3)。一回目の参加は2001年11月4日、貿易センタービルのテロ(9月4日)の年でした。当時のニューヨークマラソンの参加者は3万人で、外国人枠が1万人(イギリス2000人、フランス1500人、ドイツ1500人、その他5000人)です。日本人の枠は500人でした。私の申し込んだ旅行社は100名の枠を持っていましたが、4月に申し込んだ時点ではキャンセル待ちなんと112番目でした。ところが、9月4日のテロ発生と同時に順番が途端に跳ね上がりあこがれのNYマラソンツアに滑り込むことが出来ました。出発日の1週間位前から「炭疽菌テロがNYを標的」になどの新聞・TV報道があり出発前から物々しい雰囲気でした。到着後のニューヨークの街の警備は厳しく街角には警察官が数人ずつ警戒に当たり騎馬警官の姿も見られました。大会2日前の早朝のセントラルパークでは、当時のジュリアーニNY市長が「テロに屈せずNYマラソンを成功させよう」とTVインタビューで呼びかけていました。当日は、沿道に300万人とも言われたNY市民の声援があり、「Thank you for coming NY」の声がどこまでも続きました。私は、フルマラソンで35kmを過ぎると普段は歩いてしまうのですが1度も歩かずにセントラルパークのゴールを駆け抜けることが出来ました。奇しくもこの大会は、私が参加した大小のマラソン大会の100回目に当たりました。余りの頑張り過ぎで、帰国後、右足に足底筋膜炎が発症し約2年間、全く走ることが出来なくなってしまいました。その後、リハビリ、ジム通い、走行慣らし運転、10kmマラソン参加、ハーフマラソン大会の出場とフルマラソンに向けたトレーニングを積み上げ、6年後の2007年11月4日、再びNYマラソンに参加しました(写真4)。
 
5、手術後のマラソン大会
2011年2月食道がんの全摘手術を行い42日間、お茶の水の順天堂医院に入院していました。2011年3月11日退院の日、東日本大震災が起こりました。電車も車も動かず、帰ることができず病院にもう一泊して翌日の退院となりました。手術前から主治医に退院後はマラソンができるかを確認して、手術数日後から病院の廊下で歩行訓練を始め、退院時には1日1千歩が歩けるようになっていました。
退院後は12月までの9か月間は散歩を中心に足慣らしを続け、12月に退院後初めて8kmのジョギングができるまでに回復しました。そして、翌年(2012年)から毎年4,5回マラソン大会(10km)に参加できるようになりました。春日部大凧マラソン、熊谷さくらマラソン、富里すいかロードレース、銚子半島マラソン、千葉マリンマラソン、湘南藤沢市民マラソン(10マイル)、山中湖一周マラソン(14.3km)、南アルプス桃源郷マラソン、甲州市フルーツマラソン(勝沼)、巨峰の丘マラソン(甲州市)、奈良マラソン、青島太平洋マラソン(宮崎市)、などです。この中で好きな大会は奈良マラソン(10km)です。古都奈良の東大寺、奈良公園、興福寺、春日大社、若草山を眺めながら走り続けます(写真5)。ここ数年毎年参加しています。大会後はさらに2泊して奈良・飛鳥の寺社・名所・旧跡を巡ることを楽しみにしています。

6、初詣マラソン
毎年正月の2日は「初詣マラソン」と称して寺社巡りをします。リックを背負って地下鉄東西線で門前仲町まで行き、まず、深川不動尊を参拝します。参道・境内は参拝客がひしめき合っているのでここは歩きです。隣の富岡八幡宮にも参ります。そこからジョギングで清澄通りを一路浅草(浅草寺)へ向かいます。ほぼ隅田川の東側を並行して走ることになります。駒形橋まで来ると右手にスカイツリーがくっきりと聳え立っているのが目に入ります。駒形橋の西詰はスカイツリーの絶好の撮影ポイントです。雷門には外国人も多く、参拝客であふれかえっています。仲見世通りを避けて裏通りから浅草寺の境内に入り参拝します。浅草六区から下町を抜けて上野に向かって走り続けます。上野公園に入り科学博物館・東京国立博物館・東京芸術大学を走り抜け寛永寺へ、戻って、大黒天を参拝します。大黒天の隣が私の母校の都立上野高校です。母校を横目に上野動物園の裏口前を走り抜け不忍池に出て池之端弁財天を参拝し、そのあとは恒例のうなぎ処「伊豆栄」に立ち寄ります。
2009年1月2日には、定年後私が勤務していた日本TERADATA(株)、NSK(株)、日本ATM(株)の三つの会社をめぐる「初詣三社巡り」をしました。門前仲町(深川不動)をスタートし、永代橋-日本TERADATA社(新川)-大手町/竹橋-九段(靖国神社)-NSK社(九段上)-赤坂(山王日枝神社)-虎ノ門(金毘羅神社)-芝(増上寺)-ATMJ社(浜松町)と走りながら巡り三つの会社の繁栄を祈りました。

7.おわりに
出張先の早朝マラソン、マラソン大会、海外マラソン、手術後のマラソン大会、初詣マラソンと私のマラソン人生42年を振り返ってきました。71歳までは仕事を続けていましたので、マラソンはその間、仕事を後ろから支えるような存在でした。マラソンから活力をもらい仕事に向き合っていたようです。そして、マラソンは私の最大の楽しみでした。マラソンを通じて全国各地を訪れ、走りながら街を、人を、景色を、名所・旧跡を、寺社を観ることができました。走った先の地名を思い出すと街の情景が浮かび上がってきます。年齢を重ねるに従い走る回数も少なくなり、スピードが遅くなりましたが走り続けています。来年はオリンピック・パラリンピックの年です。私は80歳を迎え、マラソン人生42.195年(2020.3.11)を迎える年となります。そのゴールに向かって今年もマラソンを続けていきたいと思っています。

<マラソン人生42年(1978年1月~2019年3月)>
42年間のマラソン走行距離は21,959km、マラソン大会参加回数は199回を数えます。10kmマラソン大会:98回、10mile:17回、ハーフマラソン:39回(バンクーバーマラソン、東京湾横断ハーフマラソン、明石海峡大橋開通記念マラソン、北海道美瑛マラソン、他)、山中湖一周(14km)20回、フルマラソン:10回(ホノルルマラソン1回、ニューヨークマラソン2回、東京マラソン2回、他5回)、その他大会(15km、20km、30kmなど)15回です。
長々と書き連ねてしまいました。最後までお読みくださった方に感謝を申し上げます。

写真を添付します。
写真1 山中湖一周(14.3km)マラソン 2012年5月27日(日)
写真2 NEW YORK CITY MARATHON 2001     2001年11月4日(日)
写真3 EKIDENカーニバル2009 国営昭和記念公園 日本ATMマラソンチームと 2009年11月7日(土)
写真4 NEW YORK CITY MARATHON 2007( CENTRAL PARK) 2007年11月4日(日)
写真5 奈良マラソン10km 奈良東大寺-奈良公園-興福寺-春日大社 2016年12月11日(日) 

2019年4月10日 芳川順一(記)


 

心に残っている演奏会~大船渡市・陸前高田市復興支援演奏会~

心に残っている演奏会~大船渡市・陸前高田市復興支援演奏会~
      荒木佑太(平成29年卒 指揮・マンドリン)

平成29年卒の荒木です。現在は大学院で数学を研究しています。学生生活もついに終わり卒業、というタイミングで寄稿のお誘いを頂きました。この場を借りて、自分の学生生活を振り返ってみるのもいいかな、と思いながら筆をとっています。

振り返ってみて「心に残っていること」と言われると、どれも思い入れがあって中々選べないのですが、この場では2016年、私が大学4年生の時に開催された「大船渡市・陸前高田市復興支援演奏会」のお話をさせて頂こうかなと思います。

東日本大震災直後に行った早稲田大学マンドリン楽部復興支援演奏会(陸前高田市)から4年が経過していました。

大船渡市の合唱団と共演中(指揮は筆者)

更に盛大に執り行おうということで、地元の中学校の合唱部や社会人の合唱団の方々と共演し、演奏者100人余りが一堂に会す大規模な演奏会となりました(上の写真)。
指揮者」としてこの演奏会の運営に関われたことは、私の大きな財産になっています。

演奏会を終えた時、今までにない達成感を感じたのを覚えています。
特に、合唱との共演は胸を打たれました。本番の日、初めて会う我々を地元の方々は温かく迎えて下さいました。その場にいる全員が「良い音楽を作り上げる」という思いだけで1つになることができたあの経験は普段の演奏会では得られないものでした。

話は少し変わりますが、私は大船渡市のボランティアに参加していた時期があります。勝手ながら4年の最後に復興支援演奏会を開催できることに少なからず思いもあり、訪問するのが楽しみでした。
いざ現地に赴くと、市内の復興の進み具合に大変驚きました。

陸前高田(奇跡の一本松)

有名な奇跡の一本松(写真)の周りは既に整備が進み、昔は見渡せた海が堤防で隠れていました。土砂を運ぶベルコン(希望の架け橋)も取り壊され、埋め立ての高さも前とは比べられないほどになっていました。復興はまだまだ、ではありますが、少しずつ進んでいることも事実であると感じたのです。

でもその一方で、現地の方々が「伝えていくことの大切さ」について仰っていたことが心に残っています。復興は進んで土地や人も移り変わっていくけれど、過去にあったことを未来に伝えていかなければならないこともある、と。
だから震災から時間が経った今訪れてくれることは本当にありがたい」という言葉も頂き、演奏会をやってよかったと心から思いました。

なんだか演奏会のことを書くつもりが、自分のことばかり書いてしまったような気がします。この場をお借りしてこの演奏会のことをささやかながら語り伝えることができればと思ったのですが、、、

あの時出演してくれた誰かがふとした時にこれを読んで「良い演奏会だったなぁ」と少しでも思いを馳せてくれたら、指揮者冥利につきるなぁと心から思いますし、これからもそんな演奏会を作り上げていきたいと思っています。
(以上)
新聞記事と会場配布プログラム(クリックすると拡大します)


 

早稲田大学校友会ゴルフ大会:マンクラ稲友会は個人優勝・団体4位

早稲田大学校友会ゴルフ大会:参加報告(個人戦優勝、団体戦4位)

2018年11月1日、早稲田大学校友会ゴルフ大会が開催されました。今年で10回目。会場は久邇カントリークラブ(貸切)。晴天の下、約200名(50チーム)が参加して熱戦が繰り広げられました。
マンドリン楽部稲友会は2015年の第7回から4年連続出場中です。今年は、梅沢(S44卒)・大橋(S47卒)・八代(S49卒)の3名で参加(写真)。
距離6,600ヤード、グリーン速度9.5と言う名門コースならではの難コース。しかも時折突風が吹くコンディションで参加者全員が苦戦しました。

新ペリアで競った結果、下記のような信じられない結末が・・・、
・個人戦:優勝 大橋忠弘(マンドリン楽部稲友会)
・団体戦:マンドリン楽部稲友会 4位、

表彰式で沢山の商品をいただき、200名の前で優勝スピーチをして夢のような時間でした。最後は全員で都の西北を斉唱(写真)して閉会。
いただいた商品の数々の写真をご覧下さい。

このコンペは校友会費5千円/年を払っている方なら参加できます。
来年も11月に開催されます。参加立候補をお待ちしています。

 


 

コンクール結果報告:優勝と第二位入賞、ファイナリスト

1、学生ギターコンクールで第二位入賞!
曽根知輝さん(学部2年)が、第43回 GLC学生ギターコンクールの『大学生の部』において第二位に入賞しました。(写真をクリックすると拡大します)

■曽根さんの演奏曲
課題曲 エチュードOp.31-4 /F.ソル、メヌエットOp.11-5/F.ソル
自由曲 ハンガリー幻想曲/J.K.メルツ

第43回 GLC学生ギターコンクールの概要
日時 2018年8 月10 日(金)
場所 東京・豊洲シビックセンターホール
主催 GLC(ギターリーダースクラブ)
後援 (公社)日本ギター連盟/日本ギタリスト協会/日本スペインギター協会/日本ジュニアギター教育協会/神奈川ギター協会/埼玉ギター協会/台東区教育委員会/スペイン大使館
協賛 ヤマハ銀座店/J.G.A.( ジャパン・ギター・アソシエイション) /昭和音楽大学/(株)ギタルラ社/(株)現代ギター社/仏サバレス社/ギターショップアウラ/サンヨー銘茶( 山陽商事( 株)) /プティットメゾン/(有)エミール・ソフト開発

 



2、いいづなデュオコンクールで優勝!

林真衣さん(H16卒、マンドリン)が、小林透さん(ギター)とともに出場した第9回いいづなデュオコンクールの『他の楽器とギターによるデュオ』部門において第一位、並びに、フェスタ賞を受賞しました。(写真をクリックすると拡大します)

■林さんの演奏曲
自由曲 マンドリンとギターのためのソナタより第一楽章/藤井敬吾

第9回いいづなムジカフェスタ&デュオコンクールの概要
日時 2018年9月17日(月祝)
場所 長野・ホクト文化ホール長野県民文化会館小ホール
主催 飯綱ムジカフェスタ実行委員会
協力 フリーバーズ・ギターデュオ/Ensembleたのシック
後援 長野市教育委員会/信濃毎日新聞社/SBC(信越放送)/(公財)八十二文化財団/(社)飯綱高原観光協会/(公社)日本ギター連盟/日本ギターデュオ倶楽部/長野県カルチャーセンター/日本ギター合奏連盟/現代ギター社


3、第26回日本マンドリン独奏コンクールでファイナリスト

大久保陸人さん(学部2年)が第26回日本マンドリン独奏コンクールにおいて、ファイナリスト(6名)になりました。
2018年9月29日(土) 東京・白寿ホール
主催:日本マンドリン連盟

■大久保さんの演奏曲
課題曲 演奏会用円舞曲/五つのアラベスクより第1番・第5番
自由曲 アンダンテとポロネーズ、ワルツァー・ファンタスティコ、


 

岐阜⇔マンクラ: コントラバスを抱えて新幹線通いの旅

岐阜⇔マンクラ: コントラバスを抱えて新幹線通いの旅

伊藤隆(平成5年卒、コントラバス) 

 今年の夏は史上稀にみる暑さと台風の記憶で振り返ることになりそうです。皆さまお元気でお過ごしでしょうか。平成5年卒コントラバスの伊藤です。「平成初めての入部なんだね」と卒業生に驚かれた私が、平成最後の夏にこのような形で稲友会ホームページに寄稿できることをとても幸せに感じています。

 この会員寄稿広場への寄稿が(お二人の大先輩に続いて)私に回って来たのは『新装開店したホームページに寄稿しませんか。いつ見ても楽器持参で集まりに来ているから旅の想い出みたいなのがあるでしょう?』という天の声があったからです。
「いつ見ても」は言い過ぎでしょうとは口に出せず、そして残念ながらあながち間違ってもいないのでお受けすることにしました。

 とはいえ、自分にとって「旅」とは「楽器を連れた演奏会(とその練習)への鉄道旅一色」です。実はこれは、マンクラ卒部後に本格化します。
当時のコントラバスパートは「一学年に一人」が基本でした。指揮者になったり留学したりで、演奏会でコントラバス奏者が足りない年回りがあります。

 コントラバス奏者が居なくてクラブが困る→穴埋めのお誘いがある→ほいほいと旅に出る

旅程は簡単です。最寄りの新幹線駅→東京→早稲田。帰りはその逆。新幹線駅→東京→浅草。帰りは逆。新幹線駅→東京→練馬/青砥/中野/川口/大井町/武蔵野。帰りは…以下同文。

あれ、これは旅コラムになる予定だったはず…?

 振り返ってみると、この旅は卒業後二十年以上、いまだに続いています。
自分でも予想しないほど長く続いて、私に濃密な時間を与えて現在に至ります。こんな感じなので残念ながらSNSに映える写真はご用意できません。当時現役の方の大切な時間を少しだけ共有できた記憶は、私の中で彩りを失っておりません。
今の学生の方が見つめるものは昔とは違うかもしれませんが、目指す先に生まれるであろう素敵な演奏を楽しみにして旅にでます。

その時はもちろん卒業生の皆さまとご一緒したいものです。
それまでどうぞお元気でお過ごし下さいませ。

2018年8月


 

私と早稲田大学マンドリン楽部の63年間。そして第200回記念定期演奏会

私と早稲田大学マンドリン楽部の63年間。そして第200回記念定期演奏会

後藤俊明(S34卒)

平成30年5月19日(土)、三社祭で賑わう中、浅草公会堂にて「早稲田大学マンドリン楽部(WMG)第200回記念定期演奏会」が開催された。
第一部の現役学生ステージに続く第二部:現役学生とOB・OG合同ステージに私は出演し(写真)、ドボルザーク作曲交響曲第九番「新世界より」を演奏した。演奏者約130名の熱演と、一階席から三階席まで満員の観客の大拍手で、大成功裏に演奏会は終了した。この第二部には18歳から82歳の私まで幅広い年齢層が出演した。そして、ステージ上で司会者から私が「最長老の出演者」と紹介される栄誉に浴した。

私は昭和30年(1955年)にWMGに入部した。今日まで63年間、愛器カラーチェ製マンドリンを片手に多くのステージに出演して来た。(ちなみに私のマンドリンは私より10歳年上の今年92歳である。)

大学3年の時に「第80回記念定期演奏会」に出演し、125名で「カルメン」を演奏した。それ以降、第90回・第100回と5年毎の記念定期演奏会には欠かさず出演。今回が13回目の記念演奏会出演である。自分の健康に感謝している。

今回の200回定演に向けて約半年の間、「12回の激しい合同練習「練習後のパート別懇親会」「全員での決起集会(写真)」など楽しく充実した時間を過ごした。先輩・後輩の楽しい交流がお互いの気持ちを益々近づけて、美しいハーモニーの源になったと感じている。

私がWMGに入部してから今日までの63年間、接していただいた先輩・同期・後輩の皆さん、所属マンドリンクラブ・親しいグループ・友人との交流が、私の人生を何と豊かで素晴らしい物にしてくれた事か。今回の記念定期演奏会の参加で益々その思いを深く感じた。

WMG並びに稲友会の今後の益々の発展を願っている。 (以上)

 筆者演奏中(200回定演第2部)

 学生・稲友会の合同激励会5月12日@高田馬場


 

 

私の趣味「奈良旅行」

私の趣味「奈良旅行」
              2018年3月 昭和38年卒(ギター) 芳川順一

 私の趣味の話をさせていただきます。

市川市(私の在住地)で開催されている「仏教美術勉強会」に平成26年11月から参加しています。
講師は早稲田大学文学部名誉教授の大橋一章先生(1942年生)です。

昨年10月、大橋先生の引率による恒例の「仏教美術奈良研修(一泊)旅行」に参加しました。
参加者は総勢24名で京都駅に集合しマイクロバスで奈良方面に向かい、一日目は海住山寺、現光寺、般若寺、不空院、そして、樫原神宮で宿泊、二日目は壷阪寺、額安寺、法隆寺、法輪寺、法起寺と合計9つのお寺を巡りました。京都駅で参加者と別れて、私は更に京都で2泊して翌日(三日目)は再度奈良に行き、平城京跡、法華寺、正倉院展(国立奈良博物館)、四日目には京都の泉湧寺、東福寺、伏見稲荷、国宝展(国立京都博物館)を訪れました。

 11月25日には、仏教美術の勉強の一環として上野の東京国立博物館の「運慶展」に行きました。私の好きな「無著菩薩立像(興福寺の北円堂所蔵)」を観るためです。何十年か前に同じく上野で見た時に比べて「無著さんは少しやせたな」と不思議な印象を持ちました。 

 そして、12月に入り再び奈良を訪れました。12月9日薬師寺、唐招提寺、垂仁天皇陵。10日は「奈良マラソン大会」の10キロレースに参加し、その後、興福寺参拝。11日は飛鳥方面に移動して山田寺跡、飛鳥寺、天武・持統天皇陵、欽明天皇陵。12日には櫻井方面に行き、談山神社、崇峻天皇陵、聖林寺、舒明天皇陵と巡りました。10月から12月にかけて三泊四日の奈良の旅に2度でかけましたが、2度目は私の趣味の一つのマラソン大会参加にかけて奈良を歩いたものです。

平成25年から「古事記に親しむ会」という勉強会にも通っています。その影響で各地の古事記の郷めぐりを始めました。今までに、宮崎、出雲、熊野古道などを訪ね歩いてきましたが、今回の御陵めぐりもその一環としての「古事記の旅」でもありました。そして、偶然にも東京・京都・奈良の三大国立博物館を訪れることもできたことは幸せでした。

 最後に、私の趣味のギター、WMG200回記念演奏会の練習も始まりました。私は、今まで練習参加回数が少なかったので、これからは5月の本番に向けて参加回数を増やし、当日は楽しい演奏が出来るように準備をしたいと思っています。

参考までに写真を添付します。
写真1  般若寺にて     私の後ろが大橋先生です。
写真2  国立京都博物館にて 国宝展です
写真3  国立東京博物館   運慶展です
写真4  国立奈良博物館   正倉院展です