夫婦でマンドリン・ギターを奏でて慰問演奏

夫婦でマンドリン・ギターを奏でて慰問演奏

宮嶋信治 1973年卒

WMG1973年卒の宮嶋信治です。卒業後、約半世紀を経過しました。
近年は。夫婦で楽器を弾いて慰問活動を続けています(写真)。
慰問活動のきっかけは、私の母が入院していた春日部市『高齢者介護病院』の催事で「マンドリン&ギターを弾いて欲しい」と依頼を受けた事です。10年ほど前の事です。夫婦で昭和歌謡・唱歌・童謡等を演奏しました。すると入院されている皆さんが一緒に歌われて、とてもいい雰囲気になり盛り上がりました。 その後は、近所の『デイサービスセンター』『町内敬老会』『神奈川の施設』でも同様な活動を行なって来ました。夫婦での慰問活動は既に数十回になります。
その中の「思い出」を一つ紹介します。ある病院での慰問活動で、男性老人が自分から進んで朗々と歌いだしました。曲は「旅姿三人男」です。それを見た担当の女性職員が思わず泣きだしてしまったのです。後で理由を聞いてみると「その男性老人は、言うことを聞かず手に負えず難儀している人」で、「音楽で心を開いて、自分から歌い出したのがとても嬉しかった」との事。 音楽は心を穏やかに豊かにしてくれますね。
今では私ども夫婦は演奏が楽しくなり、昭和歌謡にはまっています。演奏は拙いですが、人前で演奏する事で「皆さんに喜んでもらえるのが何より幸せ」と感謝している次第です。
昨年からのコロナ禍で最近はなかなか難しいのですが『デイサービスセンター』などからの依頼があると、喜んではせ参じています。
1日も早く、正常な状況に戻ることを願っています。


 

2021年6月25日 | カテゴリー : 会員寄稿広場 | 投稿者 : HP管理者9

奈良旅行記 2020年 

奈良旅行記 2020年

           芳川純一(記)

私は6年前から「煌の会(仏教美術勉強会)」(毎月第二木曜日開催)という勉強会に参加しています。
その「奈良仏教美術研修旅行」が1年おきに1泊2日で開催され、それに2泊追加して奈良・京都を巡っていました。
今年は下記の日程で奈良・京都28寺社を巡りました。
 11月23日(月)~29日(日)、奈良7日間

その紀行紀を写真入りで記載致しました。
下のボタンをクリックしてご覧いただければ幸いです。

 奈良旅行記

 


 

「マンドリン音楽資料館」開館によせて

「マンドリン音楽資料館」開館によせて

       (記)昭和48年卒部 木村吉男

 マンドリン音楽を知ってからすでに55年を超え、そろそろ終活を考える歳となってきました。長く携わっていると集めた楽譜や資料もかなりの量になりますが、これらは多分家族には無用の長物、ゴミとして処理される運命を迎えるのであろうことは容易に想像されます。実際、家族には部屋を占領するこれらを始末するよう言い渡されたりするOBもおられ、また物故された先輩のご家族から処分を依頼されたりもすることがあります。
 こういった資料は処分されたら二度と手に入りません。できたら後進の方々に役立つ手立てがないものかと考えておりましたところ。S44年卒部の岸本先輩も同じことを考えられており、それなら資料館を立ち上げて保管閲覧できる場所をつくろうではないかと意気投合しました。
昨年8月に埼玉県春日部市にマンションの一部屋を用意し、1年間の準備期間を経てようやく開館を迎えることが出来ました(下の写真)。
 資料館にはIl Plettro、Il Mandolinoなどの20世紀初頭を中心とした楽譜類、教則本、演奏会のプログラム、LP/CDなどの音資料など総数は既に5千点を越えています。最近では「海の組曲」で有名なAmedioAmadeiのお孫さんとコンタクトを取り楽譜を譲っていただく話も進んでおります。
資料の整理には同期の武藤兼一郎さん、後藤邦明さんはじめマンドリンオーケストラ・コンコルディアの指揮者である横澤さんご夫妻、KMCのOB小穴雄一さん、マンドリン演奏家の肝付兼美さん、春日部女子高校マンドリンクラブや浦和第一女子高校マンドリンクラブのOGなど多くのボランティアに支えられてまいりましたが、WMGのOB・現役の方々にも是非ともご協力賜りたいと存じます。
 今後の資料館の活動は、収集した楽譜の活用方法として、今までほとんど演奏されたことのない楽曲を掘り起こし、コンサートを定期的に開催する事などを考えております。
 また、発起人がWMG出身者です。WMG関係の資料は特に念を入れて収集・管理したいと思います。とはいえ、90回定期演奏会以前及び150回~200回までのプログラム等が無く、ご寄贈いただければ有難く存じます。
 詳しくは下記のホームページにてお知らせいたしますが、まだまだ内容が追い付いておりません。この取り組みが永続するよう寄付も常時受け付けております。 是非一度ホームページをご覧ください。
また、土・日曜には開館しておりますので、足をお運びください。

下のボタンをクリックするとホームページが掲載されます。資料館への行き方、資料の送付先・方法等を記載しておりますのでよろしくお願いいたします。

 マンドリン音楽資料館ホームページ

資料館内部のご紹介(写真をクリックすると拡大します):


 

ご挨拶:早大マンドリン楽部幹事長より

特別寄稿

 「早稲田大学マンドリン楽部幹事長よりご挨拶」 

早稲田大学マンドリン楽部幹事長の新井大生です。皆様いかがお過ごしでしょうか。
 コロナ禍で私たちの学生生活は大きく変化しました。「授業の全面的オンライン化」や「キャンパス構内への入場制限」等により、キャンパスで友人と一緒に授業を受けたり、高田馬場や早稲田周辺でご飯を食べたりする当たり前のような学生生活を送ることができなくなりました。
 このような状況下で、当楽部の運営にも大きな影響を受けました。感染拡大防止の観点から、練習場所である学生会館が閉鎖されて外部施設での練習も制限されたことから「対面形式の練習が不可能」となりました。更に、各地への出張演奏の中止や、春の「第204回定期演奏会」、夏の「サマーコンサート2020」の中止で、演奏会を一切開催することができず、通常のクラブ活動とは程遠いものになりました。
 もちろんクラブ活動においても、新入生の勧誘をオンラインでおこなったり、各々の演奏動画をまとめて一つの演奏動画にしてみたり、今春までは想定もしていなかった試みを行っています。皮肉ですが、このような変化は「コロナ禍の副産物」といっても過言ではありません。しかし、沢山のお客様が入場されたホールで、仲間と一緒に音楽を演奏し拍手をいただくことに私たちは喜びや達成感を感じますし、クラブ運営の活力にもなります。そのため、この旧来の演奏方式も大事にしていきたいと思っております。

 これからは「ウィズコロナの時代」と呼ばれ、新しい生活様式への順応が求められています。このホールを用いての演奏方式と、新しい練習方式などを組み合わせて活動することが、伝統ある当楽部の成長に繋がるのではないかと考えております。
 8月に入り、学生会館や外部施設の利用制限は緩和され対面での練習を行うことができるようになりました。今後は冬の定期演奏会にむけて試行錯誤を重ねながら練習を行う予定です。感染状況の変化から再び対面での練習を行うことができなくなる可能性もありますが、感染拡大防止策を十分に講じながら、可能な限り活動を続けてまいります。

 再び皆様の前で演奏できる日を楽しみにしております。今後共、宜しくお願い致します。
時節柄、皆様もどうぞご自愛ください。

2020年8月22日 早稲田大学マンドリン楽部幹事長  新井 大生

PS.部員たちで「紺碧の空」をリモート演奏しました。下のURLでお楽しみいただければ幸いです。画面が表示されたら「表示」ボタンをクリックすると始まります。

 https://twitter.com/wasedolin2020/status/1275060459427618823?s=21

 


稲友会:オンライン理事会を開催。

オンライン理事会を開催

早稲田大学ではコロナ禍対応として、年内の稲門会活動の自粛を要請しています。
そこでマンドリン楽部稲友会では「理事会をオンラインで開催」しました。
ZOOMを使用しています(写真はその時のテレビ画面)。
会議は2時間の長丁場で、熱心な議論を繰り広げました。

オンライン理事会画面200625


 

中原洋様(S33卒)宅を訪問し、珍しい楽器や譜面を拝見

中原洋様(S33卒)宅を訪問し、珍しい楽器や譜面を拝見
2020年2月22日(土) 八代幸雄(記)

中原洋様(S33卒)から稲友会に「所有するマンドリン関連資料・楽譜を譲渡したい」とのご連絡を頂きました。
資料を確認させていただく為、2020年2月22日(土)に稲友会理事の代表者が中原様宅をご訪問しました。
中原様は早稲田高等学院時代よりマンドリンを弾き初め、WMGにも参画され,大学3年時にはコンサートマスターを務められました。その後退部され、マンドリンとは縁を切られておられたとの事。
奥様の中原道子様は早稲田大学名誉教授で、学生時代はWMGのメンバー。「同学年では唯一の女性マンドリンニスト」との事でした。懐かしい学生時代のお話、卒業後のお仕事のお話、趣味の音楽のお話等を楽しく聴かせていただきました。
その後「ご所有の譜面、楽器(1922年製カラーチェのマンドリン、特注のバロックマンドリン・中出ギター・ヴィンテージのヴィオラダ・ガンバ等)や絵のコレクション」を拝見、試弾もさせていただきました。
「お譲り頂ける譜面」は、稲友会からの参加者が見たことがない曲集・譜面があります。
「稲友会理事会でどのように対応するか検討」の上、後日結果報告をさせて頂くこととしました。御礼・ご挨拶をし、一旦譜面・資料等をお預かりして辞去いたしました。
稲友会としては「大変ありがたいお申し出」であり、今後理事会で「WMG・稲友会の皆様に有効活用させて頂ける方法を検討」し、結果は別途ご報告をさせていただきます。
(出席者:稲友会より八代理事・林理事・林理事のご主人)


 

伝記「大隈重信」上巻・下巻(伊藤之雄著 中公新書) の勧め

伝記「大隈重信」上巻・下巻(伊藤之雄著 中公新書) の勧め

芳川順一(S38卒)

 大隈重信が一般に知られていることは、佐賀県の生まれで、爆弾で片足を失い、早稲田大学を設立し、総理大臣を歴任したくらいかと思います。私は、掲題の大隈公の伝記を読んで早稲田大学の校友・学生にぜひこの本を読むことを薦めたいと思った次第です。以下に感想文を掲載します。
また上巻・下巻の抜粋文を作成しました。最下段にリンクを張っています。合わせてお読みいただければ幸いです。

(感想)

「大隈重信」上巻・下巻は2019年7月19日に発売されました。私は偶然、書店で手に取り「はしがき」を走り読みしたところ、大変興味が湧いてきて購入し読みはじめました。

著者は、伊藤之雄(ゆきお) 京都大学名誉教授です。早稲田大学とは関係ない方と思いますが大隈公を公平に記述され、資料をもとに大隈公の生き様を生き生きと書かれています。上・下巻あり上巻は500頁余の長編ですが、読みやすく、エピソードが満載で楽しく読み進みました。

冒頭で著者は「大隈重信は有名なわりには、伊藤博文や原 敬らと異なり具体的に何をしたかよくわからない」と述べています。私も、大隈重信についてほとんど知りませんでした。この機会に読んでみようと手にしました。上巻は507頁と長編でしたが約1カ月かけて読み終わりました。(上巻で挫折するかもしれないと思い下巻は買わなかったのですが) 早速下巻(360頁)を購入し読み始めたところ、明治の終わりから大正にかけての日本の隆盛と政権の裏側、大隈重信公の活躍などが生き生きと描かれています。あっという間に読み終わってしまいました。

上下巻を通して、文章は読みやすく、内容は大隈重信侯の偉業と明治維新・明治・大正時代の政権と歴史の裏側をとても詳しく知ることが出来ました。明治維新から明治・大正時代にかけて、大隈重信公は、岩倉具視、三条実美、木戸孝允、大久保利光、西郷隆盛、勝海舟、板垣退助、伊藤博文、松方正義、山形有朋、山本権兵衛、前島密、井上馨、西園寺公望、成瀬仁蔵(日本女子大学設立者)、阿部磯雄など錚々たる著名人との関わりと確執、そして、大隈重信公と明治天皇と大正天皇の関わりなどをとおして、大隈重信の波乱に満ちた人生を興味津々で読み進んだ次第です。
本の抜粋を記載しましたので、下をクリックしてご覧下さい。

大隈重信 上巻 抜粋

大隈重信 下巻 抜粋


 

早稲田大学校友会「第11回ゴルフ大会」参戦記

早稲田大学校友会「第11回ゴルフ大会」参戦記

11月7日(木)久邇カントリクラブで「第11回早稲田大学校友会ゴルフ大会」が開催されました。久邇カントリクラブを貸し切り、今年は213名の方が参加。

早大マンドリン楽部稲友会は第7回大会に初参加して以降、今年で5年連続参加となります。これは稲門音楽連盟13団体の中でも唯一です。しかも、昨年の第10回大会では「団体4位入賞、大橋さんが個人優勝」と輝かしい成績を残しました。

今年もと意気込んだのが失敗で、肩に力が入り過ぎて4人とも散々な結果に終わりました。

それでも転んでもただは起きぬマンクラOB4名(写真)は「飛び賞」を3人が獲得し、立派な賞品を頂いて帰りました。(飛び賞=順位が5の倍数)

来年も参加できるように、体力の維持ともう少しスコアが良くなるよう練習に励みたいと思います。

 梅沢 正春(S44/理工卒)(記)


 

「第5回オールジャパン・ギターコンクール」優勝のご報告

2019年「第5回オールジャパン・ギターコンクール」優勝ご報告

WMG3年 曽根知輝(政治経済学部)

2019年「第5回オールジャパン・ギターコンクール」(公益社団法人 日本ギター連盟主催)に出場し優勝致しましたので、先輩の皆様にご報告致します。

このコンクールは今年が5回目。第1次予選は全国12か所(北海道から九州まで)で開催。第2次予選は東京で行われ、6名が本選進出。4月13日(土)本選が開催されました。
私の演奏曲目は下記の通りです。

二次予選:プレリュードNo.5/F.タレガ、パッサカリア/A.タンスマン(高田編)、
本選:無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番BWV1003よりアンダンテ、アレグロ/J.S.バッハ、ソルの主題による変奏曲/M.リョベート

全体を通して、ミスをしてしまっても「音楽の流れを崩さずに演奏を続けられたこと」が評価に繋がった気がします。昨年出場したコンクールではミスを引きずりながら演奏してしまい、後悔が残りました。その反省を活かすことができ、技術面だけでなく精神面でも少し成長できたかなと感じました。
思い切り練習できる学生生活ももう折り返しですが、指揮者と上手く両立しながらコンクールに挑戦していく予定です。これからも応援のほどよろしくお願いします。


 

私のマラソン人生42年

私のマラソン人生42年
芳川順一(S38卒、ギター)

 私の趣味、マラソンの話をさせていただきます。
1978年1月にマラソンを始めてから今年で42年目になります。

1、マラソンを始めたきっかけ
私が勤務していた日本NCR時代、東京本社をかわきりに、金沢、宮崎、岐阜、名古屋と13年間の転勤生活を終えて東京に戻りました。地方生活が長く東京の住宅事情に疎く、通勤はふつう1時間30分はかかると聞いていました。探しあてた住居が市川市で通勤1時間と、思ったより近いところでした。30分もうけたどうしよう。この30分で毎朝ジョギングをしよう、これが始まりでした。毎朝10分間で2km、1年間で366km走ることができました。2年目に入ると2kmでは物足りなくなり4kmまで伸ばしました。その後も、5km、10kmと距離が伸びていきます。10年後の1987年に初めて山中湖一周(14.3km)マラソンを走りマラソン大会の楽しさを覚え、マラソン人生は本格化しました。

2、出張先の早朝マラソン
日本NCR在職中の教育部に所属していたころ、お客様研修の仕事で全国に出かけました。そして、定年後の日本ATM(株)在職中はコールセンターの監査や「監査役全国会議」への出席で全国各地に出かけました。出張先では朝6時に起きて約1時間(10km)の早朝マラソンです。ホテルをスタートして街を走り、帰ってシャワーを浴びて朝食、そして9時に出勤します。北から留萌、札幌、仙台、新潟、横浜、浜松、名古屋、大阪、神戸、広島、高松、高知、松山、福岡、大分、鹿児島)、徳之島など各地で早朝マラソンを走り、爽やかな気分で仕事に出かけていました。

3、マラソン大会
一番好きなマラソン大会は5月の「山中湖一周(14.3km)マラソン」です(写真1)。20回参加しました。大会参加のためのランナー貸し切りマラソンバスで新宿⇔山中湖を往復します。大会は村役場前からスタートして山中湖を左回りで一周します。途中、「ママの森」まで約2kmが緩やかな登りでランナーのスピードは遅くなります。峠を越すと一気に下り、左手に山中湖、その向こうには富士山の雄姿がくっきりと聳えています。登りの疲れはいっぺんに吹き飛んでゴールに向かいます。
真夏の6月第4週の「富里すいかロードレース」(10km)も楽しい大会です。12回走っています。富里はすいかの名産地です。スタート前にすいかが食べ放題で、応援の方も食べられるので人気のマラソン大会です。レース中も最後の給水場にはすいかがずらりと並んでいます。私たちのような遅いランナーは立ち止まってすいかにかぶりつきます。走りはそっちのけです。そして、十分に給水をとって最後の1kmを走り切ります。
「五島列島夕やけマラソン」(ハーフマラソン)も好きな大会です。2回出かけました。8月の第4週、羽田から長崎空港に飛び、プロペラ機に乗り換えて五島列島福江空港に着きます。小さな島に約2,800人のランナーが集まるのでホテルは満室となり、仕方なく隣の奈留島に民宿をとり、レース終了後は水上タクシーで島に移動しました。五島列島は日本で一番遅く太陽が沈むところと言われていて、マラソンのスタートは夕方の5時30分です。夕日の沈む光景を見ながら走るということでこの大会は「夕やけマラソン」と呼ばれています。夕方にスタートするマラソン大会は日本中でもここだけではないかと思います。私のようにゴールまでに2時間30分を超える遅いランナーは、終盤に日が暮れてしまい道路灯のない真っ暗な五島列島福江島の道路を走ることになります。そこで、所々に設置された自家発電による電灯を頼りに走ります。無事ゴールすると会場では五島牛のバーベキューがふるまわれます。夕闇の中、ランナーは焼き肉をほおばりながらレースを振り返り話がはずみます。
 2009年11月に国営昭和記念公園で開催された「EKIDENカ-ニバル2009」も思い出のマラソン大会です。1800チームが参加する大駅伝大会です。定年後に勤務していた日本ATM(株)からも6チーム24名が参加し、私もメンバーに加えてもらいました(写真2)。私にとって、駅伝大会に参加することは初めての経験でした。若い人と一緒に駅伝大会に参加出来たことは私のマラソン人生のなかでも楽しい思い出の一つです。

4、海外マラソン大会
 海外マラソン大会にも出かけました。一番印象深いのはニューヨーク・マラソン(フルマラソン)です(写真3)。一回目の参加は2001年11月4日、貿易センタービルのテロ(9月4日)の年でした。当時のニューヨークマラソンの参加者は3万人で、外国人枠が1万人(イギリス2000人、フランス1500人、ドイツ1500人、その他5000人)です。日本人の枠は500人でした。私の申し込んだ旅行社は100名の枠を持っていましたが、4月に申し込んだ時点ではキャンセル待ちなんと112番目でした。ところが、9月4日のテロ発生と同時に順番が途端に跳ね上がりあこがれのNYマラソンツアに滑り込むことが出来ました。出発日の1週間位前から「炭疽菌テロがNYを標的」になどの新聞・TV報道があり出発前から物々しい雰囲気でした。到着後のニューヨークの街の警備は厳しく街角には警察官が数人ずつ警戒に当たり騎馬警官の姿も見られました。大会2日前の早朝のセントラルパークでは、当時のジュリアーニNY市長が「テロに屈せずNYマラソンを成功させよう」とTVインタビューで呼びかけていました。当日は、沿道に300万人とも言われたNY市民の声援があり、「Thank you for coming NY」の声がどこまでも続きました。私は、フルマラソンで35kmを過ぎると普段は歩いてしまうのですが1度も歩かずにセントラルパークのゴールを駆け抜けることが出来ました。奇しくもこの大会は、私が参加した大小のマラソン大会の100回目に当たりました。余りの頑張り過ぎで、帰国後、右足に足底筋膜炎が発症し約2年間、全く走ることが出来なくなってしまいました。その後、リハビリ、ジム通い、走行慣らし運転、10kmマラソン参加、ハーフマラソン大会の出場とフルマラソンに向けたトレーニングを積み上げ、6年後の2007年11月4日、再びNYマラソンに参加しました(写真4)。
 
5、手術後のマラソン大会
2011年2月食道がんの全摘手術を行い42日間、お茶の水の順天堂医院に入院していました。2011年3月11日退院の日、東日本大震災が起こりました。電車も車も動かず、帰ることができず病院にもう一泊して翌日の退院となりました。手術前から主治医に退院後はマラソンができるかを確認して、手術数日後から病院の廊下で歩行訓練を始め、退院時には1日1千歩が歩けるようになっていました。
退院後は12月までの9か月間は散歩を中心に足慣らしを続け、12月に退院後初めて8kmのジョギングができるまでに回復しました。そして、翌年(2012年)から毎年4,5回マラソン大会(10km)に参加できるようになりました。春日部大凧マラソン、熊谷さくらマラソン、富里すいかロードレース、銚子半島マラソン、千葉マリンマラソン、湘南藤沢市民マラソン(10マイル)、山中湖一周マラソン(14.3km)、南アルプス桃源郷マラソン、甲州市フルーツマラソン(勝沼)、巨峰の丘マラソン(甲州市)、奈良マラソン、青島太平洋マラソン(宮崎市)、などです。この中で好きな大会は奈良マラソン(10km)です。古都奈良の東大寺、奈良公園、興福寺、春日大社、若草山を眺めながら走り続けます(写真5)。ここ数年毎年参加しています。大会後はさらに2泊して奈良・飛鳥の寺社・名所・旧跡を巡ることを楽しみにしています。

6、初詣マラソン
毎年正月の2日は「初詣マラソン」と称して寺社巡りをします。リックを背負って地下鉄東西線で門前仲町まで行き、まず、深川不動尊を参拝します。参道・境内は参拝客がひしめき合っているのでここは歩きです。隣の富岡八幡宮にも参ります。そこからジョギングで清澄通りを一路浅草(浅草寺)へ向かいます。ほぼ隅田川の東側を並行して走ることになります。駒形橋まで来ると右手にスカイツリーがくっきりと聳え立っているのが目に入ります。駒形橋の西詰はスカイツリーの絶好の撮影ポイントです。雷門には外国人も多く、参拝客であふれかえっています。仲見世通りを避けて裏通りから浅草寺の境内に入り参拝します。浅草六区から下町を抜けて上野に向かって走り続けます。上野公園に入り科学博物館・東京国立博物館・東京芸術大学を走り抜け寛永寺へ、戻って、大黒天を参拝します。大黒天の隣が私の母校の都立上野高校です。母校を横目に上野動物園の裏口前を走り抜け不忍池に出て池之端弁財天を参拝し、そのあとは恒例のうなぎ処「伊豆栄」に立ち寄ります。
2009年1月2日には、定年後私が勤務していた日本TERADATA(株)、NSK(株)、日本ATM(株)の三つの会社をめぐる「初詣三社巡り」をしました。門前仲町(深川不動)をスタートし、永代橋-日本TERADATA社(新川)-大手町/竹橋-九段(靖国神社)-NSK社(九段上)-赤坂(山王日枝神社)-虎ノ門(金毘羅神社)-芝(増上寺)-ATMJ社(浜松町)と走りながら巡り三つの会社の繁栄を祈りました。

7.おわりに
出張先の早朝マラソン、マラソン大会、海外マラソン、手術後のマラソン大会、初詣マラソンと私のマラソン人生42年を振り返ってきました。71歳までは仕事を続けていましたので、マラソンはその間、仕事を後ろから支えるような存在でした。マラソンから活力をもらい仕事に向き合っていたようです。そして、マラソンは私の最大の楽しみでした。マラソンを通じて全国各地を訪れ、走りながら街を、人を、景色を、名所・旧跡を、寺社を観ることができました。走った先の地名を思い出すと街の情景が浮かび上がってきます。年齢を重ねるに従い走る回数も少なくなり、スピードが遅くなりましたが走り続けています。来年はオリンピック・パラリンピックの年です。私は80歳を迎え、マラソン人生42.195年(2020.3.11)を迎える年となります。そのゴールに向かって今年もマラソンを続けていきたいと思っています。

<マラソン人生42年(1978年1月~2019年3月)>
42年間のマラソン走行距離は21,959km、マラソン大会参加回数は199回を数えます。10kmマラソン大会:98回、10mile:17回、ハーフマラソン:39回(バンクーバーマラソン、東京湾横断ハーフマラソン、明石海峡大橋開通記念マラソン、北海道美瑛マラソン、他)、山中湖一周(14km)20回、フルマラソン:10回(ホノルルマラソン1回、ニューヨークマラソン2回、東京マラソン2回、他5回)、その他大会(15km、20km、30kmなど)15回です。
長々と書き連ねてしまいました。最後までお読みくださった方に感謝を申し上げます。

写真を添付します。
写真1 山中湖一周(14.3km)マラソン 2012年5月27日(日)
写真2 NEW YORK CITY MARATHON 2001     2001年11月4日(日)
写真3 EKIDENカーニバル2009 国営昭和記念公園 日本ATMマラソンチームと 2009年11月7日(土)
写真4 NEW YORK CITY MARATHON 2007( CENTRAL PARK) 2007年11月4日(日)
写真5 奈良マラソン10km 奈良東大寺-奈良公園-興福寺-春日大社 2016年12月11日(日) 

2019年4月10日 芳川順一(記)