私のマラソン人生42年

私のマラソン人生42年
芳川順一(S38卒、ギター)

 私の趣味、マラソンの話をさせていただきます。
1978年1月にマラソンを始めてから今年で42年目になります。

1、マラソンを始めたきっかけ
私が勤務していた日本NCR時代、東京本社をかわきりに、金沢、宮崎、岐阜、名古屋と13年間の転勤生活を終えて東京に戻りました。地方生活が長く東京の住宅事情に疎く、通勤はふつう1時間30分はかかると聞いていました。探しあてた住居が市川市で通勤1時間と、思ったより近いところでした。30分もうけたどうしよう。この30分で毎朝ジョギングをしよう、これが始まりでした。毎朝10分間で2km、1年間で366km走ることができました。2年目に入ると2kmでは物足りなくなり4kmまで伸ばしました。その後も、5km、10kmと距離が伸びていきます。10年後の1987年に初めて山中湖一周(14.3km)マラソンを走りマラソン大会の楽しさを覚え、マラソン人生は本格化しました。

2、出張先の早朝マラソン
日本NCR在職中の教育部に所属していたころ、お客様研修の仕事で全国に出かけました。そして、定年後の日本ATM(株)在職中はコールセンターの監査や「監査役全国会議」への出席で全国各地に出かけました。出張先では朝6時に起きて約1時間(10km)の早朝マラソンです。ホテルをスタートして街を走り、帰ってシャワーを浴びて朝食、そして9時に出勤します。北から留萌、札幌、仙台、新潟、横浜、浜松、名古屋、大阪、神戸、広島、高松、高知、松山、福岡、大分、鹿児島)、徳之島など各地で早朝マラソンを走り、爽やかな気分で仕事に出かけていました。

3、マラソン大会
一番好きなマラソン大会は5月の「山中湖一周(14.3km)マラソン」です(写真1)。20回参加しました。大会参加のためのランナー貸し切りマラソンバスで新宿⇔山中湖を往復します。大会は村役場前からスタートして山中湖を左回りで一周します。途中、「ママの森」まで約2kmが緩やかな登りでランナーのスピードは遅くなります。峠を越すと一気に下り、左手に山中湖、その向こうには富士山の雄姿がくっきりと聳えています。登りの疲れはいっぺんに吹き飛んでゴールに向かいます。
真夏の6月第4週の「富里すいかロードレース」(10km)も楽しい大会です。12回走っています。富里はすいかの名産地です。スタート前にすいかが食べ放題で、応援の方も食べられるので人気のマラソン大会です。レース中も最後の給水場にはすいかがずらりと並んでいます。私たちのような遅いランナーは立ち止まってすいかにかぶりつきます。走りはそっちのけです。そして、十分に給水をとって最後の1kmを走り切ります。
「五島列島夕やけマラソン」(ハーフマラソン)も好きな大会です。2回出かけました。8月の第4週、羽田から長崎空港に飛び、プロペラ機に乗り換えて五島列島福江空港に着きます。小さな島に約2,800人のランナーが集まるのでホテルは満室となり、仕方なく隣の奈留島に民宿をとり、レース終了後は水上タクシーで島に移動しました。五島列島は日本で一番遅く太陽が沈むところと言われていて、マラソンのスタートは夕方の5時30分です。夕日の沈む光景を見ながら走るということでこの大会は「夕やけマラソン」と呼ばれています。夕方にスタートするマラソン大会は日本中でもここだけではないかと思います。私のようにゴールまでに2時間30分を超える遅いランナーは、終盤に日が暮れてしまい道路灯のない真っ暗な五島列島福江島の道路を走ることになります。そこで、所々に設置された自家発電による電灯を頼りに走ります。無事ゴールすると会場では五島牛のバーベキューがふるまわれます。夕闇の中、ランナーは焼き肉をほおばりながらレースを振り返り話がはずみます。
 2009年11月に国営昭和記念公園で開催された「EKIDENカ-ニバル2009」も思い出のマラソン大会です。1800チームが参加する大駅伝大会です。定年後に勤務していた日本ATM(株)からも6チーム24名が参加し、私もメンバーに加えてもらいました(写真2)。私にとって、駅伝大会に参加することは初めての経験でした。若い人と一緒に駅伝大会に参加出来たことは私のマラソン人生のなかでも楽しい思い出の一つです。

4、海外マラソン大会
 海外マラソン大会にも出かけました。一番印象深いのはニューヨーク・マラソン(フルマラソン)です(写真3)。一回目の参加は2001年11月4日、貿易センタービルのテロ(9月4日)の年でした。当時のニューヨークマラソンの参加者は3万人で、外国人枠が1万人(イギリス2000人、フランス1500人、ドイツ1500人、その他5000人)です。日本人の枠は500人でした。私の申し込んだ旅行社は100名の枠を持っていましたが、4月に申し込んだ時点ではキャンセル待ちなんと112番目でした。ところが、9月4日のテロ発生と同時に順番が途端に跳ね上がりあこがれのNYマラソンツアに滑り込むことが出来ました。出発日の1週間位前から「炭疽菌テロがNYを標的」になどの新聞・TV報道があり出発前から物々しい雰囲気でした。到着後のニューヨークの街の警備は厳しく街角には警察官が数人ずつ警戒に当たり騎馬警官の姿も見られました。大会2日前の早朝のセントラルパークでは、当時のジュリアーニNY市長が「テロに屈せずNYマラソンを成功させよう」とTVインタビューで呼びかけていました。当日は、沿道に300万人とも言われたNY市民の声援があり、「Thank you for coming NY」の声がどこまでも続きました。私は、フルマラソンで35kmを過ぎると普段は歩いてしまうのですが1度も歩かずにセントラルパークのゴールを駆け抜けることが出来ました。奇しくもこの大会は、私が参加した大小のマラソン大会の100回目に当たりました。余りの頑張り過ぎで、帰国後、右足に足底筋膜炎が発症し約2年間、全く走ることが出来なくなってしまいました。その後、リハビリ、ジム通い、走行慣らし運転、10kmマラソン参加、ハーフマラソン大会の出場とフルマラソンに向けたトレーニングを積み上げ、6年後の2007年11月4日、再びNYマラソンに参加しました(写真4)。
 
5、手術後のマラソン大会
2011年2月食道がんの全摘手術を行い42日間、お茶の水の順天堂医院に入院していました。2011年3月11日退院の日、東日本大震災が起こりました。電車も車も動かず、帰ることができず病院にもう一泊して翌日の退院となりました。手術前から主治医に退院後はマラソンができるかを確認して、手術数日後から病院の廊下で歩行訓練を始め、退院時には1日1千歩が歩けるようになっていました。
退院後は12月までの9か月間は散歩を中心に足慣らしを続け、12月に退院後初めて8kmのジョギングができるまでに回復しました。そして、翌年(2012年)から毎年4,5回マラソン大会(10km)に参加できるようになりました。春日部大凧マラソン、熊谷さくらマラソン、富里すいかロードレース、銚子半島マラソン、千葉マリンマラソン、湘南藤沢市民マラソン(10マイル)、山中湖一周マラソン(14.3km)、南アルプス桃源郷マラソン、甲州市フルーツマラソン(勝沼)、巨峰の丘マラソン(甲州市)、奈良マラソン、青島太平洋マラソン(宮崎市)、などです。この中で好きな大会は奈良マラソン(10km)です。古都奈良の東大寺、奈良公園、興福寺、春日大社、若草山を眺めながら走り続けます(写真5)。ここ数年毎年参加しています。大会後はさらに2泊して奈良・飛鳥の寺社・名所・旧跡を巡ることを楽しみにしています。

6、初詣マラソン
毎年正月の2日は「初詣マラソン」と称して寺社巡りをします。リックを背負って地下鉄東西線で門前仲町まで行き、まず、深川不動尊を参拝します。参道・境内は参拝客がひしめき合っているのでここは歩きです。隣の富岡八幡宮にも参ります。そこからジョギングで清澄通りを一路浅草(浅草寺)へ向かいます。ほぼ隅田川の東側を並行して走ることになります。駒形橋まで来ると右手にスカイツリーがくっきりと聳え立っているのが目に入ります。駒形橋の西詰はスカイツリーの絶好の撮影ポイントです。雷門には外国人も多く、参拝客であふれかえっています。仲見世通りを避けて裏通りから浅草寺の境内に入り参拝します。浅草六区から下町を抜けて上野に向かって走り続けます。上野公園に入り科学博物館・東京国立博物館・東京芸術大学を走り抜け寛永寺へ、戻って、大黒天を参拝します。大黒天の隣が私の母校の都立上野高校です。母校を横目に上野動物園の裏口前を走り抜け不忍池に出て池之端弁財天を参拝し、そのあとは恒例のうなぎ処「伊豆栄」に立ち寄ります。
2009年1月2日には、定年後私が勤務していた日本TERADATA(株)、NSK(株)、日本ATM(株)の三つの会社をめぐる「初詣三社巡り」をしました。門前仲町(深川不動)をスタートし、永代橋-日本TERADATA社(新川)-大手町/竹橋-九段(靖国神社)-NSK社(九段上)-赤坂(山王日枝神社)-虎ノ門(金毘羅神社)-芝(増上寺)-ATMJ社(浜松町)と走りながら巡り三つの会社の繁栄を祈りました。

7.おわりに
出張先の早朝マラソン、マラソン大会、海外マラソン、手術後のマラソン大会、初詣マラソンと私のマラソン人生42年を振り返ってきました。71歳までは仕事を続けていましたので、マラソンはその間、仕事を後ろから支えるような存在でした。マラソンから活力をもらい仕事に向き合っていたようです。そして、マラソンは私の最大の楽しみでした。マラソンを通じて全国各地を訪れ、走りながら街を、人を、景色を、名所・旧跡を、寺社を観ることができました。走った先の地名を思い出すと街の情景が浮かび上がってきます。年齢を重ねるに従い走る回数も少なくなり、スピードが遅くなりましたが走り続けています。来年はオリンピック・パラリンピックの年です。私は80歳を迎え、マラソン人生42.195年(2020.3.11)を迎える年となります。そのゴールに向かって今年もマラソンを続けていきたいと思っています。

<マラソン人生42年(1978年1月~2019年3月)>
42年間のマラソン走行距離は21,959km、マラソン大会参加回数は199回を数えます。10kmマラソン大会:98回、10mile:17回、ハーフマラソン:39回(バンクーバーマラソン、東京湾横断ハーフマラソン、明石海峡大橋開通記念マラソン、北海道美瑛マラソン、他)、山中湖一周(14km)20回、フルマラソン:10回(ホノルルマラソン1回、ニューヨークマラソン2回、東京マラソン2回、他5回)、その他大会(15km、20km、30kmなど)15回です。
長々と書き連ねてしまいました。最後までお読みくださった方に感謝を申し上げます。

写真を添付します。
写真1 山中湖一周(14.3km)マラソン 2012年5月27日(日)
写真2 NEW YORK CITY MARATHON 2001     2001年11月4日(日)
写真3 EKIDENカーニバル2009 国営昭和記念公園 日本ATMマラソンチームと 2009年11月7日(土)
写真4 NEW YORK CITY MARATHON 2007( CENTRAL PARK) 2007年11月4日(日)
写真5 奈良マラソン10km 奈良東大寺-奈良公園-興福寺-春日大社 2016年12月11日(日) 

2019年4月10日 芳川順一(記)