稲友マンドリン倶楽部の歴史

稲友マンドリン倶楽部の設立と歴史 (1941年~2011年迄)

1、稲友マンドリンクラブの誕生
 稲友マンドリン倶楽部は、昭和16年(1941)6月に結成され、第1回演奏会を行なっている。時はまさに戦雲急を告げる時代であり、プログラムにも皇紀2601年6月16日との表記が見られる。演奏会場は「産業組合中央会館」であり、挨拶文には「兼ねてより待望されて居りました所の早大マンドリン部出身者による新しい団体がいよいよ実現いたしまして・・・・今回同志の者相集まり、「稲友マンドリン倶楽部」を組織致し、ここに第1回の発表演奏会を催す運びとなりました。(後略)」とある。出演者は33名であった。指揮は平山英三郎OBで、独唱者に美山啓子氏を呼んでいる。
 この演奏会で「前田 正氏の遺稿による」として「渚の唄」・・・・・・平山英三郎とあって、六重奏が行われている。前田 正OBは昭和10年(1935)卒で、しばしば演奏された「青豌豆の踊り」の作曲者であるが、2,3の曲を残しただけで、豊かな将来を期待されながら昭和14年に夭折したと、昭和23年の広島マンドリン楽団の合同演奏会のプログラムに紹介されている。
 この年はまた現役が戦後最後の従来型演奏会となる第59回春季研究発表会(定演)を6月6日に日本青年館で開催したのを最後に、吹奏楽、管弦楽、合唱団と共に、「早稲田大学学徒錬成部音楽隊」を結成する状況となっている。
 それにしても、創立以来それまでOB会結成に至らなかったのは何故だろうか?今となっては憶測するしかないが、当時の定演の出演メンバーを見ると、熱心なOBは卒業後も指揮をしたり、相変わらず学生と一緒に弾いていたりするので、特にOBアンサンブルを別個に立ち上げる機運に乏しかったのかも知れない。それがここへきて先行きの読めない状況下となり、俄かにその行くんが盛り上がったとも考えられる。
ただこれも戦争のため、昭和17年(1942)11月の渋谷公会堂での第4回演奏会を最後に中断のやむなきに至った。

2、戦後
 戦後は、終戦翌年の昭和21年(1946)6月に、早くもWMGとしての第63回定期演奏会を開催しているが、もうこの当時は現役もOBも区別なく、何もない中で兎に角、一緒に楽器を弾く、音楽を楽しむということで精一杯であったと思われる。
 この戦後第1回目の定演でも稲友マンドリン倶楽部は賛助という形で出演している。
 また、時には定演の中で、OB ステージとして稲友マンドリン倶楽部が登場し、単独演奏を披露するケースも見られる。
その中で昭和20年代でただ一度だけ、「稲友」として演奏会を開催したことが記録されている。昭和25年(1950)11月3日に日赤講堂で行われたとなっているが、具体的な内容は判らない。この時以降は稲友の単独演奏会は行われておらず、前述のように現役とステージを共にするか、WMGの定演の中で単独ステージを持つかの何れかとなる。

 こういったスタイルが昭和30年代半ば頃まで続き、現役部員の急増と共に姿を変えるのである。もう、OBが学生の演奏会に応援の形で出演する必要もなくなった。
 昭和36年(1961)からは、現役の定期演奏会とは別に、OBだけによる「稲友マンドリン倶楽部演奏会」を開催する運びとなり、石黒不二夫(昭32院卒)、杉浦 寛(昭35卒・故人)、渡邉 清(昭36卒)の3OBが中心となって有楽町の生命保険協会ホールで11年ぶりとなる戦後2回目の単独演奏会を行なった。
 昭和36年12月2日の第6回稲友マンドリン倶楽部演奏会である。この生命保険協会ビルは戦禍を免れて焼け残った建物で、ホールも戦前からの古いもの出会った。
 そして翌昭和37年(1962)6月には第7回演奏会を日本相互銀行ホールで開催している。この時には荘村正人OB(昭14卒)のご子息である「荘村清志」君が、ヴィヴァルディのギター・コンチェルトを「稲友」をバックに独奏した。確か中学2年生か3年生であったと思う。彼はこの後、スペインにギター留学し、ナルシーソ・イェペスの教えを受け、帰国後はギタリストの第一人者として著名な存在となったことはご承知の通りである。また、スペイン留学以前には小原安正OBの門下生でもあった。
 この昭和37年には、12月16日に第8回演奏会を開催しており、年に2回もの定演をこなしたわけで、会社勤めをやりながら、我ながらよくやったものだと今になって思う次第である。そのかわりというか第9回定演は、昭和39年8月31日に第一生命ホールでと、1年飛ばした形となっている。この年は東京オリンピックの年である。
 このあと、昭和40年(1965)9月第10回、同41年8月第11回、同じく42年8月第12回、といずれも京橋のブリッジストンホールでの定演を3年連続で行開催している。昭和40年からは、後藤俊昭OB(昭34卒)が加わって、石黒、杉浦両OBと共に幹事として活動した。それまで関わってきた渡邉 清OBは職場の異動で参加できなくなった。この昭和42年の定演を最後に、しばらくは稲友の定演は行われなくなる。

 翌年の昭和43年(1968)6月には、WMGの第100回記念定期演奏会が開催されることで、これに稲友も合同で演奏参加することになった。ただし、単独ステージは持たず、第1部の平山、川崎、赤城・3OBの作曲による「田園詩曲」、「過ぎた日の熱情」、小序曲「心」などを、3OB各氏の指揮により、そのほか第4部で当時現役の松野満男(昭44年卒)の指揮によるベートーヴェンの「交響曲第7番」(赤城編)を、何れも学生と合同出演奏した。学生、OB合わせて148名が出演している。
 この後、同じ昭和43年の10月に「第1回オール早稲田マンドリンクラブ合同演奏会」が、杉並公会堂で開かれ、第1部に稲友マンドリン倶楽部が清水敏男氏(昭和40年卒)の指揮で、ローレライ・パラフレーズなどを稲友単独で、また同じ清水氏の指揮で第4部のステージを現役と合同で演奏している。
 この時は早稲田大学高等学院マンドリンクラブも出演しているが、残念ながらこの1回だけでオール早稲田合同演奏会は以後開催されていない。そしてこれをもって暫くの間、稲友マンドリン倶楽部としての演奏も行われていない。

3、早稲田大学マンドリン楽部稲友会の発足、定演の中断
 その後11年を経て昭和54年(1979)11月、演奏団体とは別に、OB会としての「早稲田大学マンドリン楽部稲友会」が新発足し、理事のほか実務担当としての幹事5名が選出された。そして昭和56年(1981)5月、お茶の水の日仏会館で復活第1回としてオールワセダ演奏会の名でOB現役合同演奏会を開催し、OB55名、現役100名が参加した。しかし早稲田大学高等学院は既にマンドリンクラブを廃部しており、参加していないので、以前のオール早稲田とは全く異なるものであった。また、OBステージは13名と少なく、どちらかと云うとその後に行われ現在も続いている部内演奏会に近い性格のものであったかと思われる。
 その後、昭和58年(1983)12月のWMG第131回定期演奏会は丁度、楽部創立70周年にあたり、その現役・OB合同の記念演奏会を日本青年館で開催することとなり、赤城OBの指揮でOB単独のステージを持った。実に15年ぶりのことであった。
 これ以後は第140回、150回と、5年毎にWMGの節目となる定演に現役との合同演奏の形で登場し、稲友マンドリン倶楽部としての独自の定演を行のうのは大分あとになる。まず、WMG第140回定演は、昭和63年(1988)5月に日本青年館で開催されているが、これには清水敏男(昭40卒)、伊藤敏明(昭47卒)の両OBが登場してOB単独ステージの指揮をしている。また第3部では、当時学生指揮者の山口 敦氏(平成元年卒)の指揮でOB・現役で合同ステージを持った。
 WMG第150回定演は、平成5年(1993)5月、日本都市センターホールで行なわれ、この時はOB単独ステージはなく、第3部で赤城OBと、当時現役の河内 勝氏(平成6年卒)の指揮で現役、OBの合同演奏を行なった。平成10年(1998)5月に日本青年館で行なわれたWMG第160回定演でも、第3部で赤城OBと、当時の学生指揮者である安田勝彦氏(平成11年卒)の指揮により、学生との合同演奏会を行なっている。

4、活動再開(平成15年)
 平成15年(2003)5月に、WMGの第170回定演が開催となるが、その3ヶ月前の2月2日に、何と昭和42年(1967)以来、実に36年ぶりとなる「稲友マンドリンクラブ第13回定演」(再開第1回)を、銀座中央会館ホールで行なった。
 赤城、石黒、進藤の3OBが指揮をしている。
 そして3ヶ月後の5月18日にWMG第170回定期演奏会が開催となり、第2部をOBステージとして、赤城、進藤両OBの編曲による「カルメン」抜粋曲を進藤OBの指揮により演奏し、続く第3部を赤城OBの指揮で現役、OB合同で演奏している。
 このあと、稲友マンドリン第14回定演を、平成17年(2005)3月に銀座中央会館で開催、石黒、進藤、小松信彦(平成12年卒)の3OBと、アンコールに赤城OBが自作の「若人」を指揮した。
 続いて翌年の平成18年(2006)11月に、第15回定演をこれまでと同じ銀座中央会館で行ない、進藤、小松両OBの指揮で演奏している。
 この後、平成20年(2008)5月にWMGの第180回定期演奏会が日本青年館で行なわれるが、この時は第3ステージのみ、学生、OB合同ステージとし進藤OBの指揮により、赤城OB作曲の交響詩「雲峰」他を演奏した。
 平成23年(2011)10月に、稲友マンドリン倶楽部創立70周年記念演奏会として、第16回定期演奏会を新装成った大隈講堂で開催し、特別ステージとして、戦前からマンドリン楽部長であった西条八十教授の生誕120周年記念ステージを設け、西条楽部長作詞による戦前戦後の有名曲を演奏した。また、ベートーヴェンの交響曲第7番(赤城編)を進藤OBの指揮により演奏している。

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